南北朝期に、南朝の忠臣だった「新田義貞」公の墓所。
新田義貞は、合戦中に灯明寺畷(現福井市新田塚)で討たれ、その体はこの寺で葬られたといわれており、遺品は寺宝として保存されています。県指定史跡。
弘治2年(1556年)頃、明智光秀の居城であった明智城は斎藤道三親子に攻められ、逃亡生活へ。1562年頃から5年間ほど称念寺の門前で密かに貧しく生活していました。妻の煕子は自分の黒髪を売って、連歌会を開くための銭に替え、夫の面目を立てたという伝承もあります。
元禄2年(1689)8月、松尾芭蕉(1644~1694) が「奥の細道」の旅の途中に称念寺に立ち寄り、黒髪伝説の話を聞いて感動し『月さびよ 明智が妻の咄(はなし)せむ』という句を詠みました。
Information
| 所在地 | 福井県坂井市丸岡町長崎19-17 |
|---|---|
| お問合せ |
TEL:0776-66-3675 |
| ご利用案内 | 境内は自由に拝観できます。 |













