天正4年(1576年)、柴田勝家の甥で養子の柴田勝豊が築城した平山城で、現存天守閣の中で最古の遺構である。 上層に望楼を形成し、二層三階建の特異な建築法を採用しており、屋根に笏谷石製瓦をのせているのも珍しい。 城主には、安井左近家清、青山修理亮、同忠元、今村盛次、本多成重、有馬清純ら17代が変遷し、明治維新を迎えた。 大正中期から昭和の初期にかけて濠は埋められ、現在は本丸と天守閣と僅かな石垣を残し、城域は公園となっている。 本多家の菩提所は本光院、有馬家の菩提所は高岳寺で、それぞれの寺院に歴代城主の大きな五輪塔がおごそかに並んでいる。 天守閣石垣のそばに「一筆啓上火の用心 お仙泣かすな 馬肥せ」の書翰碑が建てられている。 この手紙文は、徳川家康譜代第一の功臣で鬼作左の勇名をとどろかせた本多作左衛門が、陣中から家族あてに書き送ったものである。 文中のお仙とは嫡子仙千代で、長じて成重と称した。 福井城主結城秀康に仕え、数度の戦いに武勲を立て丸岡城6代目の城主となった。
別名“千古の家”とも呼ばれている坪川家住宅は、江戸時代初期に建てられた県内最古の民家。正面が入母屋造り、背面が寄棟造りの茅葺屋根で、外回りは杉皮張りの壁に障子の白が清楚な美しさを見せている。 主な柱は栗材で、「ちょうな」や「やりがんな」で仕上げられている。特に隅には木の又を利用して先端を二分した叉柱が使われ、母屋と下屋の桁を支えている。 桁行きは14.5メートル、梁間は10.3メートル、当時としては豪荘な構えで、中世地方豪族の生活様式を伺い知ることができる。
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