
三国の歴史は三国湊の歴史そのものでもあります。
中世、物資の積出港として軍事的にも経済的にも重要性を増した三国湊。 江戸時代には福井藩の保護のもと、さらなる発展をとげました。
現在の三国駅・三国港周辺の市街地エリアの町並みは、この時代にはできあがったと考 えられています。
江戸時代にはいり、蝦夷地からは昆布やニシンといった海産物を、大阪や瀬戸内海沿岸 からは酒や塩、木綿・煙草といった雑貨類の物資を輸送する「北前船交易」がはじまりま した。三国はこの北前船の寄港地となり、商人達も廻船経営に力を入れ、町は富み栄え てゆきました。 大きな和船であるベザイ船が三国湊に寄港する様は当時の浮世絵にも描かれています。
やがて江戸後期には三国は日本海側有数の北前船の中継基地に発展。 廻船業を営んだ森田家・内田家といった豪商がうまれました。 商業の発展は、町人文化・工芸技術をも開花させ、港町は大いに賑わいました。
▲森田家が創業した森田銀行。西欧の古典主義的な外観と、内装に施された漆喰模様が特徴。 現存する鉄筋コンクリート造の建物では県内最古。 | ▲堅牢なつくりで今もアンティークとして の人気の高い三国箪笥。 |
▲堅材木商岸名家を復元した「旧岸名家」。 この地方に伝わるカグラ建ての佇まいが 美しい。裕福な町家の生活を偲ばせる室 内のしつらえも必見。 |
さらに幕末期から明治初期の港の最盛期には、高まった文化熱とその豊かな財源を基盤 とし、オランダ人技師らによる龍翔小学校の建設、日本初の西洋式工法の三国港突堤の 建設などの大事業が行われました。
▲明治12年(1879年)に建てられた、オランダ人エッセル のデザインによる、木造五階建八角形というユニークな 形状の小学校「龍翔小学校」。現在はみくに龍翔館として 外観が復元されている。 |  ▲明治時代の三国港の様子。 中央に北前船が見える。 |
▲120年間その姿をしっかりととど める重要文化財「三国港突堤」。 西洋築堤事業の第一号。枝や草を 編んで石を詰めたものを基礎とする、 オランダ式工法を取り入れている。 |
明治時代、鉄道が通り始めると三国湊は商港から漁港へと転換してゆきました。
▲現在の三国港の様子。海に沈む夕暮れ時はひときわ美しい。 | ▲三国支線開通記事「みくに新聞」 明治44年12月15日付 |
▲カニ漁の船でにぎわう夜の三国漁港 |
現在の三国は、美しい自然をいかした漁港・農業の盛んなグルメの町。 全国的に有名な越前ガニをはじめとする海の幸、らっきょうやスイカなどの陸の幸が 訪れる人々の舌を楽しませます。
また、なにより東尋坊や越前松島、三国温泉などのスポットを抱える一大観光地でもあり ます。年間350万人以上の観光客が訪れる有数の観光の町として今もその繁栄は続いて います。
現在、三国湊街屋館に設置してある、タッチパネル 「三国湊 まちなび」にて三国の観光地の歴史や 街並、特徴を物語風に紹介するコンテンツをご覧 いただくことができます。ぜひご利用ください。