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北陸唯一の現存天守 丸岡城

丸岡城は、現存天守閣では最古の建築様式を持つ平山城で、霞ヶ城の別名の通り、春満開の桜の中に浮かぶ姿は幻想的でひときわ美しいスポットです。
丸岡城の周辺は、日本庭園式公園の「霞ヶ城公園」として整備されており、歴史的・文化的資源を有効に活用している公園として、「日本の歴史公園百選」に選ばれています。

戦国時代の天正4年(1576)一向一揆の備えとして織田信長の命により柴田勝家が甥の勝豊に築かせました。
丸岡城築城400年を記念して造られた日本庭園式公園があり歴史民俗資料館には、歴代城主ゆかりの品が展示されています。

また、丸岡城天守を取り囲むように園内には400本のソメイヨシノが植えられ、「日本さくら名所100選」に認定されており、桜が満開の頃は、桜が作り出す霞の中に丸岡城が浮かんでいる幻想的な風景や、夜間ライトアップされた丸岡城や桜を楽しむことができます。4月には城下で丸岡城桜まつりが行われます。

【丸岡城公式ホームページ】
https://maruoka-castle.jp/

別名「霞ヶ城」

夜間のライトアップ

時間 08:30~17:00(最終入場は16:30)
料金 大人450円
小中学生150円
(丸岡城、歴史民俗資料館、一筆啓上日本一短い手紙の館共通入場券)
※障害者手帳をお持ちの方は、50%割引となります。
休み 無休
訪問時期 通年 (四季折々の風情・景色に触れられますが、特に桜の時期はおススメです)
アクセス 〔 車 〕
・北陸自動車道丸岡ICから、約5分。
・国道8号線「一本田中第2」交差点から東方へ、約2分。
〔 公共交通 〕
・JR福井駅前京福バス乗り場から「丸岡線」に乗車、約50分。終点「丸岡城」停留所下車すぐ。バスは、30分に1本程度あり。
・JR芦原温泉駅前京福バス乗り場から「芦原丸岡永平寺線」に乗車、約20分。「丸岡城」停留所下車すぐ。または「長屋線」に乗車、約20分。「本丸岡」停留所下車、徒歩約10分。バスは、日中2時間に1本程度あり。
※JRの駅では丸岡駅が最寄り駅ですが、丸岡城までは約4.5km程度離れています。丸岡駅からは、日中の丸岡方面行きのバスは3本しかないため、タクシー利用をおすすめします。(タクシーは、駅前のタクシー待合所から電話で手配できます。また、事前のタクシー予約は、ケイカン交通丸岡営業所 ℡0776-77-2444または℡0120-11-2444
問合せ先 霞ヶ城公園管理事務所 ℡(0776)66-0303

丸岡城の天守

今も小高い丘の上の、石垣の上にそびえる丸岡城。
外観は二階建てに見えますが、内部は三階建て(二層三階)となっていて、城内へは急な石段を登って入ります。
一階の壁には、「石落とし」や「狭間(さま)」を見ることができます。
石落としは、ベランダのように天守から張り出していて、天守の石垣を登ってくる真下の敵に石を落としたり、弓や鉄砲を撃ったところ。
狭間は、天守の壁面に空いている小さな穴や小窓のことで、石落とし同様、ここから石を投げたり、弓や鉄砲を撃つことができました。狭間は、様々な形・大きさで、他の階でも見ることができます。
江戸時代につくられた城は、城主の権威を示すため、大きく立派で多層式のものが目立ちますが、丸岡城内は戦国時代の雰囲気。豪華さや優美さより、いたる所にある敵に対する備えの方が目を引きます。
一階から二階、二階から三階へは、急な階段を登り綱の助けをかりながら上がります。
最上階三階の望楼は、ふもとから約35mの高さ。天気が良ければ四方の窓が開け放たれ、当時の城主が眺めたものと同様の丸岡の町並み、坂井平野の田園風景、かつて豊原寺があった山並みを、さえぎるものなく見渡せます。
吹きぬける風が気持ちいい望楼から、城主になった気分で城下を眺めてみてはいかがでしょう。

みどころポイント

一階部にあるベランダ状の石落とし

狭間は天守内の様々なところにいろんな形・大きさであります

二階部へと上る急な階段は登り綱をしっかりつかんで慎重に

望楼からは丸岡の町、坂井平野、 遠くは三国まで見渡せます

みどころポイント

東方にはかつてこの地の拠点 豊原寺があった山を望めます

かつての城主はこの板の間に 座り、何を考えたのでしょうか

不規則な石組みで高度な技術が必要な野面積みの石垣。戦国期特有の建築構造の1つ

城外

みどころポイント

福井震災で落下した笏谷石の鯱は現在天守閣登り口の階段脇に保管されています

現在の木造の銅板張りの鯱です

狭間(鉄砲穴)。 天守の壁面に開けられた攻撃用の小さな小窓です

約6000枚の石瓦はすべて笏谷石。屋根全体で120トンにもなります。

丸岡城の概要

城主17代300年の城下町

丸岡城築城前、この辺りの拠点は丸岡城より東方約4kmのところにあった「豊原寺」でした。豊原寺は、三千坊ともいわれる宿坊が立ち並ぶ大きな門前を有していました。
1573年、織田信長は、当時越前を治めていた戦国武将「朝倉義景」を討ち、都があった一乗谷を焼き払いました。すると、豊原寺をはじめとしたこの辺りの一向宗の勢力が増したため、1575年、再度織田信長が「越前平定」のため越前に攻め入り、豊原寺などの一向宗の拠点を焼き尽くしました。
その後、柴田勝家の甥「柴田勝豊」がその豊原の地に居を構えましたが、翌1576年「まるこの岡」と呼ばれていた現在の丸岡城の場所に城を移しました。
天守は近年の調査結果から、寛永年間(1624~1644)に建造されたとされています。
江戸・明治・大正と丸岡の町のシンボルだった丸岡城は、昭和9年には国宝の指定を受けました。しかし、昭和23年の福井大震災により天守が倒壊してしまい、現在の丸岡城は、当時の建材等を使って昭和30年に再建されたものです。
全国各地には、城やそれに関係する場所がいくつもありますが、現存する天守は全国で12しかなく、北陸では、丸岡城のみ。この丸岡城は、現存する最古の建築様式を有しているとされ、戦後に定められた「文化財保護法」で、天守は国重要文化財の指定を受けています。
今でも丸岡の町を巡ると、いたる所に城下町であったことをしのばせる場所や逸話が残っています。

【歴代丸岡城主一覧】https://kanko-sakai.com/feature/files/maruokajo-owner.pdf

人気のない林道横に佇む豊原寺跡の地蔵

杉林の中にひっそりとある 豊原寺歴代院主の墓

住宅街を見下ろしてそびえる丸岡城天守

丸岡城にまつわる逸話

お静の涙雨

初代城主柴田勝豊が丸岡城築城の際、天守の石垣が何度も崩れるので人柱を入れることになり、子をかかえて苦しい生活をしていた「お静」は、子を侍に取り立ててもらうことを条件に人柱となりました。
その後、丸岡城は無事完成しましたが、柴田勝豊は近江長浜へ移ることとなり、結局、お静の子は侍にはしてもらえませんでした。
それから、田植えの準備の頃になると、堀から水があふれるほど雨が降るようになり、人々はこれを「お静の涙雨」と呼ぶようになりました。
今でもこの時期に行われる丸岡祭(国神神社春季祭礼)は、天候に恵まれることが少なく、雨が降るたびにこの話を耳にします。

お静の霊をなぐさめる慰霊碑

霞ヶ城

丸岡城築城後も一向宗の残党が城を襲うことがありました。しかし、その度に、天守横にある井戸から大蛇が現れ、城に霞をかけて城の危機を救ったと言われています。このことが丸岡城の別称「霞ヶ城」の云われだそうです。
現在は大蛇が噴き出す霞を見ることはできませんが、春、丸岡城を取り囲んでいる桜の花々の淡いピンクが霞のように見え、その中に丸岡城が浮かんでいるような幻想的な景色を作り出してくれます。

桜が咲くと城に霞がかかったように見えます

丸岡城主と日本一短い手紙

丸岡城主は、初代柴田勝豊からはじまり、その後明治維新まで17代続きます。
江戸時代に入り、福井藩から丸岡藩が分藩されると、「本多成重」が初代丸岡藩主(丸岡城主としては6代目)となり、以後本多家が4代83年間、有馬家が8代174年間、藩主(城主)を務めました。
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」
この手紙は、徳川家康の忠臣「本多作左衛門重次」が、長篠の合戦(1575年)の折、陣中から妻に宛てて送ったもの。短い文章の中に大事なことが簡潔明瞭に言い尽くされています。この「お仙」とは、後の初代丸岡藩主になる本多成重(幼名:仙千代)のことです。

丸岡城の登城口横に 建てられている一筆啓上の碑

みどころポイント

一筆啓上賞 入賞作品掲示板

駐車場からは入賞した作品を 読みながら城まで歩けます

しだれ桜がある本丸跡周辺にも 入賞作品が並んでいます

一筆啓上 日本一短い手紙の館

坂井市では、この日本一短い手紙を題材に全国から手紙を募り、平成5年から「一筆啓上賞」(平成15年からは新一筆啓上賞)を設け、町づくり事業に取組んでいます。これまでに応募された手紙は100万通を超え、それらの手紙は本や映画にもなっています。
そして、平成27年8月23日(ふみの日)に、一筆啓上日本一短い手紙の館がオープンし、過去の一筆啓上賞の受賞作品や手紙に関する企画展などの催しなど、多彩な手紙文化に触れることができます。一筆啓上賞は毎年テーマを変えて開催しており、受賞作品の中には、思わずクスッと笑ってしまうものや、ジーンと胸に染み入るものまでいろいろ。是非、あなたのお気に入りの作品を見つけてみてください。

時間 09:00~17:00(入館は16:30)まで 所要30~60分。
料金 大人(高校生以上)200円、中学生100円、小学生以下 無料
休み 年末年始(12/29~1/3)、展示替えのための特別休館あり
訪問時期 通年
アクセス 丸岡城から徒歩約5分
問合せ先 一筆啓上日本一短い手紙の館(0776-67-5100)

丸岡城下町を散策

歴史民俗資料館

丸岡城のふもと(「一筆啓上茶屋」の南側)には、歴史民俗資料館があります。
丸岡の古地図や丸岡城下の模型など、城下町散策の参考になる資料をはじめ、甲冑や刀剣の展示もあります。(入館料は丸岡城入城料に含まれています)

散策前に資料館に立寄り、 城下町の概要を把握しよう

本多家の駕篭(かご)など、 多数の貴重な品々が展示されています

霞ヶ城公園

丸岡城や歴史民俗資料館の周辺は、日本庭園式公園の「霞ヶ城公園」として整備されていて、歴史的・文化的資源を有効に活用している公園として、「日本の歴史公園百選」に選ばれています。
丸岡城天守を取り囲むようにソメイヨシノが植えられているこの公園は、「日本さくら名所100選」にも選ばれていて、桜が満開の頃は、桜が作り出す霞の中に丸岡城が浮かんでいる幻想的な風景や、夜間ライトアップされた丸岡城や桜を楽しむことができます。

霞ヶ城公園

ライトアップされた春の丸岡城

内堀・外堀の名残

丸岡城を取り囲んでいた内堀は明治期に埋め立てられ、今は道路となっていますが、外堀は用排水路となって、昔と同じところを静かに流れています。特に丸岡城の南側、覧友橋から神明橋・城のまち会館辺りまでは、現在田島川として流れる外堀跡に添いながら歩くことができます。
神明橋のたもとにある「タブの木」の古木は、国神神社の神木であり、今も昔と変わらず大きな枝葉を茂らせています。

紅葉の時期の散策も 落ち着きがあり、オススメです

みどころポイント

今は田島川として流れる外堀跡

外堀の一部

昔から変わらない国神神社前の タブの木がある風景

丸岡藩歴代藩主の菩提寺

城南側の丸岡市街には、今なお多くの寺社仏閣が残っています。
その中の一つ「本光院」は、丸岡藩主本多家の菩提寺。境内の左手奥には、4基の大きな五輪塔が静かに立ち並んでいます。これは、作左衛門重次から3代藩主重昭までのもの。お家騒動で改易(取り潰し)を受けた4代藩主重益の墓はここにはありません。
本多家の後の丸岡藩主有馬家の菩提寺は、丸岡城の東方「高岳寺」にあります。丸岡有馬家初代清純から7代目温純の墓と、延岡有馬家初代直純と2代目康純、関係する人物の墓が境内にたたずんでいます。また、丸岡城の南にある「白道寺」には、有馬直純150回忌に建てられた五輪塔と直純の正室・日向御前の碑が並んで建てられています。特に日向御前の碑は「盲亀浮木」という大変珍しいものです。

本多家・有馬家の菩提寺

有馬家菩提寺高岳寺は、 丸岡市街から少し離れたところにあります

本多家の墓所(本光院)

丸岡城ゆかりの特産品紹介

久保田酒造

丸岡藩の奨励により、1753年からこの地で酒造りを行っている蔵元。前述の「日本一短い手紙『一筆啓上』入賞作品」をラベルに取り入れた純米吟醸「一筆啓上」を造り、上々の人気を得ています。
また、12月からの新酒の搾りの時期だけ造られる「鬼作左(おにさくざ)」もオススメ。地元の水、地元の酒米(蔵の横で作られた山田錦)、地元の人の手によって造られています。通常の搾りのものと、袋吊り搾りのものとの2種があり、搾りの違いを呑み比べてみてはいかがでしょうか。
「鬼作左」とは、日本一短い手紙を書いた「本多作左衛門重次」のこと。勇猛で頑固者でしたが、己を捨て主君家康のために尽くした作左衛門のことを、領民は親しみを込めてこう呼んだそうです。

長く続く黒塀が 酒造りの歴史を感じさせます

人気銘柄の「一筆啓上」

蔵には、昔の酒造りを紹介する パネルや道具も展示されています

時間 08:00~17:00 (酒蔵見学の場合は事前予約が必要です)
酒蔵見学・試飲会・酒蔵庭園見学で60分程度
料金 酒蔵見学 300円(お土産付き)
休み 不定休
訪問時期 通年
アクセス 〔 車 〕
・丸岡城より県道10号丸岡川西線で、約6分
問合せ先 久保田酒造 ℡(0776)66-0123

その他の見どころ

丸岡藩砲台跡

欧米列強が鎖国下の日本に来航し、開国を迫っていた頃、江戸幕府から全国諸藩に海岸を警備するよう命があり、1852年丸岡藩が建設したのが坂井市三国町梶に残るこの砲台跡。弓状に築かれた土塁には5ヶ所の砲眼といわれる大砲を備える窪みが設けられています。
幾分草むしてはいるものの、当時の形をよくとどめていることは全国的にみても大変稀であり、国の指定史跡になっています。
目の前には大きな日本海が広がり、左手には越前松島、右手には浜地・波松から加賀へと続く海岸線を望める、絶好の景勝地です。

丸岡藩砲台跡(三国町梶の海岸).jpg

みどころポイント

海岸沿いにひっそりと佇む土塁には、 砲眼という窪みが5つあります

左手を望むと、景勝地 越前松島の岩礁が見えます

今はかつてのような緊迫感はなく、 波穏やかな豊饒の日本海が広がっています

キリシタン燈籠

火袋を支える竿石にマリア像が彫られ、更に竿石の上部は十字架をかたどっているようです。キリシタン信者が密かに礼拝したものだろうと思われます。

懐かしい丸岡城 古写真集

【画像左】丸岡霞城御吉祥之図
伊星双岳 画(?~1847)丸岡藩絵師
上田町 布施直之氏所蔵

【画像右】全盛期の丸岡城 「元朝吉祥図」
あわら市椚 志田弥広氏(故)画より(伊星絵図をもとに描いた)

丸岡霞城御吉祥之図

全盛期の丸岡城 「元朝吉祥図」

みどころポイント

天保7年(1836)頃の丸岡城周辺図

天保7年(1836)頃の鳥瞰図

明治16年の丸岡城と内堀。各種門や石垣、樹木が売り払われ、城の天守閣のみ残りました

明治34年の丸岡城改修の時の記念写真

みどころポイント

明治42年頃の水を湛える内堀

大正期 車がはじめて登場した頃、埋め立てられた内堀

明治42年9月皇太子殿下(大正天皇)行啓記念

明治末期の丸岡城